何年か前。大きな龍を作り、それを披露し、そして壊す。そんな文化祭みたいな、どっかの学校の伝統行事を特集した番組に出てくる生徒の姿を見て、感動の自作自演だなんて言葉が頭に浮かび、そんなことを書いた気がする。
合唱コンクールやなんかで一所懸命やって感動したねと泣く女子と、それを見て阿呆らしいと真面目に参加しない男子と、どちらがリアリストで、どちらがロマンティストか。今改めてそうやって考えてみると、感動の自作自演って言葉は間違ってたな、なんて今更ながらに思う。
彼らのなんとリアリスティックなことか。僕らのなんとロマンティックなことか。感動の自作自演。まるで自作自演じゃない感動がどこかに存在しているかのような言い草。感動に限らず。全般的にいえる。そういったものは自分たちで作るものなのだと彼らは知っている。小学生の女子でも知ってる。男子まじめに歌ってよ。