ノータリン

知っている単語と単語の総当たりの組み合わせを展開できる程の能力はないから、単語と単語の関係を表す文が大事になってくるのかな。そもそもの単語も、"ピーマン"という言葉は苦みのある緑色の野菜*1を指す、みたいな感じに語とそれが指し示すものとの関係から始まるんだから。
今まで想像もしなかったものに触れたときの驚きは、例えば少年の体が芋虫のそれであるという絵を見たときの驚きは(言葉にするとそれほどでもないけど)、そんなものが、少年の顔と芋虫の体が自分の中では関係を持つことがなかったから、自分の世界にはそんなものが存在してなかったし、思いもよらなかったから。でも、一度知ったことで、その関係は自らの内に取り込まれ、その分世界は大きくなる。(例えば初めて手に目がある絵を見たら、今まで持ってなかったその関係に驚くけど、その次からは知っている関係であるから驚きは少なくなるように(むしろベタに))
AとBを関係で結べる能力はあるが、知っている単語の総当たりを展開する能力はない。実際に物質が存在する世界から言葉でそれを写しとり、その単語と単語の関係で自らの世界を構築する。まあ、ぐちゃぐちゃに書いたけど、雰囲気的にはそんな感じなのかな、と。


少年と虫の話は、顔というものは人間の体の上についてるものである、虫の体というものは虫を構成するものである、そういう関係の辞書があるから驚きがある。って、また手と目の話になるけど、目は顔を構成する物を視る器官である、という関係の辞書があるから手にあると驚くが、一度それを知ってしまうと単純に関係を知ったから驚きが薄れるというよりも、単語の関係である辞書自体が書き換わる気もする。顔にあるって縛りがなくな…いや、というか、それ自体が更なる単語になるって感じなのかな?目のデザインは目を指す、って感じに。うーん、もう頭の中がしっちゃかめっちゃかだな。まあ、こんだけ長々と書いた文から、一つわかるのは、脳足りんってことか。

*1:もっと視覚的なイメージの話も加わるんだろうけど、思いつかない。