非モテコミットがウケのわるい理由

思い通りにならないものを思い通りにしようとするのがおもしろいんであって、はじめから思い通りになるものなんて奇特な人以外には興味を持たれない。
べつにこんなもの何にでもいえる。ゲームだったり、スノボだったり、ジャグリングだったり。1-1しかプレイできないマリオを誰がやり続けるだろう。木の葉しか滑っちゃダメなスノボにどれだけの人がハマるのだろう。3ボールカスケードより先に進めないジャグリングをどれだけの人が続けるのだろう。


単純なゲームデザインとして、非モテコミットは失敗している。ユーザーに媚びた結果、そこには何の困難もなく、何の喜びもない。解いてみたくなるようなイベントや、ワクワクするような世界観はなく、予測とすら言えないような決まりきった消化試合が待っているだけ。もちろん100-0の予定調和の圧勝劇。
予想は裏切れ、期待は裏切るなというエンタメ周りの言葉でいえば、非モテコミットは、予想を裏切らないことによって期待を裏切っている。顧客にいったい何を提供するべきなのか?顧客は顧客自身が本当に欲しいものをわかっていない。もっと早い馬車を提供するべきなのか、車を提供するべきなのか。ドリルを提供すべきなのか、穴を提供すべきなのか。彼らはより早くより便利に移動したいだけであって、それを表す言葉を知らないから早い馬車を求めているだけではないのか。


予想を裏切ることをディスに言い換えることもできる。ディスる人は予想を裏切ることで期待を裏切らない。彼女たちにより高いゲーム性を、思い通りにならないものを思い通りにしようとする体験を提供している。一方、非モテコミットは相手に媚びて予想を裏切らないことで期待を裏切っている。はじめから思い通りになることで、彼女たちにクソゲーという言葉すらおこがましいほどの退屈な体験を提供しているとしたらどうだろう?
はてさて、非モテコミットがウケのわるい理由は一体全体どういうわけなんだろう。