一人が生きるには数十年は長すぎる

そういった意味も含めて統合するのを放棄する。リアルな可能性でのどこでも ドアは入り口でスキャンして出口で再構成するのがベターだけど、そしたら移動するごとに自分が増えてっちゃう。だから、入り口を通った瞬間に消滅させるらしいけど、それの流れで、入り口を通ったら真っ暗闇な空間で出口を通って楽しそうにしている自分を眺めさせられながら地獄の責め苦だかじりじり消滅させられるだかって話があったけど、そんな風に、一日の終わりの眠りが入り口で、一日の始まりの起床が出口って感じに考える。
例えば辛い生活が続くとして、自分一人が数十年生きるとしたら、明日も明後日も明明後日も何年後も何十年後も辛い生活をするのは自分なわけだから、嫌になって死んじゃったりするかもしれないけど、この考え方なら今日さえ耐えればおk。
だって、明日辛いことをするのは明日の自分なんだから。自分は、今日の自分は、今日さえ頑張ればいい。意図せずカイ ジの名台詞っぽくなったけど、本当そんな感じで、今日だけ頑張ればいい。明日明後日明明後日なんか知るか!ボケ!それはてめえらがやれ!俺は今日やることだけをやる!って感じで。これは将来性がないだとか、計画建てないから抜けられねえんだよって次元じゃなく、日々の生活があれな向け人の話。いや、もちろん、将来への布石も今日のタスクとして考えて入れればいい話なんだけど、とりあえず切羽詰まってる人向け。
確かに、とある料理をn皿食べることができた人にn皿分の分量を一皿に盛って出したら食べることができなかったりするって話みたいに、そもそも長いスパンを背負える用にできてないんだから、一日単位の小分けにした方が効率的でいいかもしれないけれど、こんな小癪なやり方なんかせずとも過ごせてるならそれでいいし、辛い環境にいるならば悟るより環境変える方がずっと手軽で健康的って話よろしく、環境変えることができるのならば、それに超したことはない。だから、これはそれらの手が打てない人向け。確かにこのやり方はダメージ減るけど、将来の自分ってものへの投資意欲も減る。そんなデメリットがあっても、この手を打たざるを得ない人向け。