今年もまた作文試験をblogのノリで書いちゃったわけだけど

求められてるのは分析じゃなく感想、変わった視点ではなくベタな迎合ってのはわかっちゃいるんだけど、なぜかblogのノリで書いちまう。これはなぜかと、その後の滑った感じの相手も飽き飽きしてる感じの面接でテンション下がった帰り道に考えてたわけなんだけど、そもそも感想ってのがほとんどないからじゃないのかなって思い至る。そもそもガキの頃からそういった設問は苦手だったし、2、3年くらい前のどう思うかって聞かれたときでも「いや、別に…」って感じで、全然思うところがなかったし。
感想ってのは、もちろんいろんな形はあるけれどその一つには、自分の中にある価値観と実際のそれとのずれということができると思うんだけど、自分の中じゃ実際に起こってる現実の方が、水は下に流れるのが楽だから下に流れるってように、優先度高いし、それを前にして否と言えるほどの価値観は持ち合わせてないしなあ。
たとえそれが一般的な価値観から逸脱していても、起こる理由があって起きているわけだし、自分にゃ納得しがたい理由でも、それを起こしてる側からすれば、それは水が下に流れるように、自然で当然なんだろうから、それを否定してまで通せる程の価値観なんか有してないように。
んなこと前提of前提条件だっつーの。その上でお前自身の立場ってーのを明確にするために感想はあるんだっつーの、ってことなのかな?ああ、だとしたら、手落ちだし今までずっと勘違いしてたし練習不足だ。いや、これは意見がないわけじゃなく中立なんだ!って苦し紛れをひらめくも、中立だとか中庸だとか言ってるけど、それって結局左右の間取ればいいだけの話だし、左右がずれるだけで自分の意見もずれる、自分自身の意見なんてどこにもなくただ相手に左右されるだけの、そんな感じでもあるんじゃね?って前に思ったことがあったけど、まさにそんな感じになるわな。ああ、「あんたには自分自身ってものがない」って言われて批判されてたどこぞの主人公がいたけど、あれはこういうことだったのか。