ジガガガ

理屈って観点から見れば矛盾していても、快不快って観点から見ればダブス タなんてことは殆どない、って以前書いたけど、それはどういうことかっつったら、その状況の情報を基にして組み立てた理屈が先にあるのではなく、その状況の情報を快不快で判断した結果、それに沿うような理屈が提出されるってことだよな、と。そしてそれが全般的にそうであるとするならば、自我が考えた結果に従って行動しているのではなく、無意識的な部分によって判断された結果に沿うような理屈を、自我が捏造し続けているだけなんじゃないか、と。それこそ小説の中の登場人物のように、自分が考えた結果による行動であると信じて疑わないように。
根っこにあるのは単純な快不快だけではなく、選択肢的なものからの検索も。初めての情報に対するそれや、未知のものを考えるといった場合はどうなるかってのはどうなんだろ。考える全般の要素と要素を合わせるだとか、要素を入れ替えるだとかが選択肢に入ってる…ってのは苦しいな。論理的に考える際とか。いや、論理的な思考のパターンが選択肢になるだけか?とりあえず、今の所思い浮かぶもう一つは慣れたらモジュール化される話よろしく、例えば帰り道だとか自転車乗るだとか茶碗洗いだとか、そういう類の話なんじゃないかってこと。まあ、なんか飽きたしこれくらいで。

■理由の結果に行動があるんじゃなく、行動の結果が理由であるとしたら 2007-09-14
親にスイカを勧められる→理由を聞くが判然としない→仕方がないから食べたらまずい→以前食べたことがある味だ→そういえばこの前買ってきたのを食わされた光景を思い出す→ごるぁ!
夢の中にそんな一節があったわけだけど、今年の夏はスイカを食べていないし、あのような味のスイカを食べたことは一度もない。だからまあ、夢の流れの結果、スイカを食べた瞬間に捏造された記憶なわけだけで、それは普通に思い出すのとほとんど変わらぬ速度だった。前も思ったことだけど、例えば結果を決めてから書かれる小説の登場人物は*1先に行動があるにもかかわらず自らが考えた理由の結果に行動していると思うように、スイカを食ってからその理由や思い出が瞬間に捏造される夢のように、自らの理由の結果に行動があるのではなく、先に結果があって後から理由が決定されてるとしたら、テンション下がるよなあっと。

*1:その登場人物がこういう状況の場合どうするかって書かれた場合は違うけど