手首痛い、っていうかなんかスジが痛い

莫大な財産を持ち多くの息子や娘にも恵まれた順風満帆な人生だったのに、神やら悪魔のせいで理由もなくそれらの全てを失った男が「裸で生まれてきたのだから裸で帰るだけのこと」と言う態度。更に全身が見るも無惨に腫れあがって「神様を恨みなさいよ!」と言った嫁さんに「神から良いことだけを受け取って、悪いことを受け取らないっていうのかい?」と返す態度。それが求められるものなのかな。莫大な財産は築くではなく持つ。故に奪われるではなく失う。与えられるものに良いも悪いもなく、与えられる全てが絶対。そんな主体性の話のように思えた。
例えばシミュゲーをやってるときにゲーム内の人間がこの莫大な財産は純粋に俺様の実力で築き上げたものだ!って自慢してたり、自らに利益になることは神様のおかげですとか言うくせに不利益になる場合は神の野郎!っと文句を抜かしたとする。すると、どうだろう。「おいおい、てめえを作ったのは神ことこの俺様だし、その世界も俺様が作ったものだっていうのに、それに対して、てめえごときが所有権を宣うだなんて何様のつもりだ?被造物の中に生きる被造物ごときの分際が。それに神の御業にてめえごときが良い悪いを判断するってのがどういうことかわかってんの?てめえに対して良いか悪いかをこの俺様がお伺いを立ててから力を振るわなきゃならないってことになるんだぜ?馬鹿か被造物。なんで貴様らごときにいちいちお伺いなんか立てなきゃならねえんだよ!あくまで主体性を有するのはこの俺様。貴様らごときが有していいもんじゃねえんだよ!黙って俺様の行いを受け入れてろ!神である俺様は絶対なんだからよ。」こういった考えを抱かないとも限らない。いや、まあ、そこまでノリノリじゃなくとも、似たような考えを抱く人ってのは割と想像しやすいと思うし、地味に結構いるとも思う。で、まあ、そんな感じじゃないのかなあっと。
あるべき信者って以外にも、被造物側からも読める。神じゃなくて世界とすれば割と広く。世界から与えられた命を生きて、そしてまた世界に還る。別にスピリチュアルな意味での世界じゃなくて、タンパク質とかリンとかカルシウムとかの物質的な世界、っていうか、まあどっちでもいい。そんな世界から生まれ世界へと還る自分が、世界の中で生きてる間に世界で築いたものに対して所有権を主張するってのは何か滑稽な気がしないでもない。世界をシミュゲーやってる短期な神様に変えたら、そこはその人が作ったその人のものである世界なんだから、何勝手に所有権抜かしとんねん、それは俺のもんやぞ、ってことになるけど、神ではなく世界、何の意志すらも持たないただの物質であるとするならば、なんかちょっと空しくもあるよねっと。
良い悪いの話も、意味なんてものはあくまでこちらの勝手に作り上げたものであって、世界という物質的なシステムにはそんなものないからただ淡々といろいろ起こる。例えば気圧差により強い風が生じたことで家が倒壊して子ども全滅とか。それにいちいち憤るよりは、世界さんに意味なんて概念はないし理由なんて概念もない。ただ気圧差によって強風が生じるという因果があるだけなんだから、子どもが全滅したのは誠に悲しいことではあるのだけれど、どうしようもないんだから、淡々と世界さんを、目の前の現実を、受け入れるしかないよね、って感じの処世術にも読める。と、まあ、そんな感じでこんな感じ。それより何より手首がやばい。mhずっとやってたんだけど、手首が痛くなってやめた。これ腱鞘炎になりかねないってマジで。明日からはもうちょい姿勢とか手首とか考えてやろう。「てかやめろよ!HAHAHA何をご冗談を!」的な寸劇やる程には中毒じゃないけれど、でもまあ手首がちょっと痛くてもやる程度には暇だしな。