右の頬をぶたれたら左の頬を出すのは

博愛精神からじゃなく、自らが相手を同じ暴力という手段を用いることで、相手の非を一つなくしてしまわないためだって言ってた人がいた。もしも暴力で応じてしまえば喧嘩両成敗ということになってしまうが、こちらが手を出さない限り、暴力を振るう相手に非は残るからだと。まあ、本当かどうかは置いといて、面白い話ではある。


さて、本題。昨日までごくごく平凡に生きてきた主人公が、魔法使いのとばっちりを受けて、得体の知れない化け物にされてしまう話がある。化け物と言っても鬼とか悪魔とかそんな格好いいのではなく、にゅるにゅるのぐずぐずの単眼な触手生物。とばっちりでそんな姿にされ、見た目が化け物だからと闘う気は更々ないのに殺されかけ、踏んだり蹴ったりな主人公なんだけど、一向に腐らない。普通ならめちゃくちゃダークな復讐物になってもおかしくないような設定なのに、のほほん、ほのぼのと日々を過ごす。そうしている内に、害意がないことに気付いた人々が近づき、筆談等でコミュニケーションを深め、友達になったりする。見た目にはまだびびっちゃうけど。
確かに善人ワールドでのことではあるけれども、もし彼が魔法使いや人間共に復讐してやるとダークになってたら、どうなったか。勿論、友達なんて出来やしない。たとえ、主人公の境遇を知り、申し訳ないと近づいてくる人間がいたとしても、同情はいらないと拒絶するだろう。それより少しマイルドに、主人公がいじけていたらどうなっただろう。多分変わらず、近づいてくる人がいても、構ってオーラを発揮しまくり、果てには愛想を尽かされ、それに逆ギレして、やっぱり外見がどうのこうの、こんな外見にした奴らに復讐を、って展開になるだろう。
以前に書いた「○○が原因ではない。○○だからと腐ってるお前自身が原因だ」ってのは、まさしく、そういうことだよなっと。いやね、確かに、アウシュビッツに連行されるユダヤ人の人を目の前にして、ユダヤ人であるのが原因ではない云々なんて抜かしたらぶっ殺されるだろうけど、そこまでの極限状況じゃない平時に於いては、割とそう言えるんじゃないのかなっと。マイナスとされる属性を有してる人がうざいのは、その属性故にではなく、全てその属性が悪いんだと腐っているが故にだと。大体、その属性持ってなくとも、腐ってるやつは大体うざいんだからさ。


いーや、それでも納得できないって場合に、ようやく枕の話が生きてくる。書いた自分でもちょっと忘れかけてたけど、殴られても殴り返さないのは、相手の非を残すためって話。たとえマイナスとされる属性を持つ自分が腐らずに、お天道様に胸を張れる、真っ当な生き方をしていたとしても、それを理由に貶めてくるやつは確かにいる。いるけども、だからといって、そいつらの流儀で反撃をしちゃならない。すると、そいつらと同じレベルに落ちちゃうから、あくまでも自分は腐らずに、お天道様に胸を張れるような、そういった生き方をすることで、反撃する。暴力を振るう相手に手を出さないことで暴力の非を主張するように、腐らず生きることで相手の生き方を見ずにマイナスの属性を持っているという理由だけで貶める相手の愚かさを主張する。そんな考え方もあるよねーって話。前に書いた努力と結果の話とも一緒。結果なんて自分が操作できるものじゃなく、自分には可能性を高めるために努力というアプローチしかできないんだから、結果が伴わなくとも努力し続けることに意味はあり、腐らずに続けたそれは誇りになるだろう云々ってやつ。


でもまあ、あれだよね。相手によっちゃ全然通じないけどね。インドで非暴力不服従の教えを守る村人が異教徒な山賊みたいなやつらにやられたい放題、殴られ奪われ犯され等々、の状態になって早数十年みたいな話あったし(まあいいカモだわな)、前に書いた、腹の中では高潔な精神で反骨しまくりだけども一度もそれを表に出さない従順な性奴隷の場合とか。
だからベクトルとしては反撃がメインじゃなく、努力の話の例のように、あくまで如何に腐らずに生きられるかって感じの話。結果が実らず、不遇に終わったとしても、自分にできる最大限のこと、弛まぬ努力を続けたなら、その人は笑顔で言えるだろう。運が悪かったって。結果に結びつく運や、環境や才能を含めた諸々の運。それに恵まれなかったけど、自分は出来る限りの精一杯をやり遂げたんだから、運が悪かったんだし(そこに努力不足の入る余地はない)、あるいは弛まぬ努力が、不遇にも負けずやり遂げたその努力が、誇りに変わるかもしれない。よく結果も出ないのに頑張り続けたな、自分、って。自分で自分を褒めてあげたい。と、まあ、そんな感じのを目指した、腐らない生き方版。そうあれたらいいよねっと。