自身の努力実力才能で云々

言えるのはスゴイなーっと感心する。んなもん相対的なもんだから、むしろ運の範疇に近いだろ、なんて自分は思うから。中学じゃ一番だったけど進学校じゃビリッケツ、じゃないけれど、いくら自身が才能を努力研鑽して実力つけたところで、ま、上限があるだろう*1
その上限がビリッケツなくらいに周囲のレベルが、進学校なんて区切られた範囲ではなく人類全体の平均が、高かったなら、頑張ったところで自分の上限が50で、周囲の平均が500だとしたら、頭は馬鹿だし食い扶持稼ぐことも覚束ないんじゃねえのかな、とまあ、そんな風に思うから。
って、これあれじゃん。まんま、あれ。書いたもんってのは不思議なもんで、書かなきゃ当然生まれなかったんだけど、読んでみると自分の中から出てきたもんだなあってのがよくわかる、って以前書いたけど、まさにそれで、昔書いたのに似てる。ま、どっちも自分のだから当たり前でしょって感じだけど、前の時は特別意識したわけじゃないってのが違う……って、ま、いっか。今回の話は、じゃ、全ては運ですか?っつったら、そういうわけでもなくて、踏まえるか踏まえないか、程度の問題。食に感謝を自然に畏怖を、みたいな感じでさ。
でも、ま、初期のハチマキみたいに、負の感情ですら全部俺のもんだ、ていう態度は割と好きだったりする。何だろうね、違いは。踏まえてるか踏まえてないかの違いなのかな、やっぱり。働かざるもの食うべからずって言葉で全てを片付けようとする人、昔の誰かの発言という意味ではなく真理という名の錦の御旗を掲げたような態度を取る人、は好きじゃないけど、おらぁこの言葉好きだからよ、って提出してくる人には特別思うところがないように。

*1:才能限界、てか。