糾弾は

カニズムを知るという意味で、言葉の魔術を無効化するという点で、有用である。言葉は人を傷つけられない。何を言う。現にこんなに傷つくじゃないか。それは違う。結局のところ傷つけてるのは自分である。
兵藤会長のあの話を例に引くとわかりやすい。骨折した人間の足をいじくる。絶叫が響き渡る。笑いながら語りかける。ほら、わしは痛くない。何を言う。あの絶叫を聞くだけでこんなにも胸が痛いじゃないか。それは違う。彼と痛覚を同じくしているならそうかもしれないが、そうでない限り、そんなことはありえない。ではなぜ胸が痛いのか。それは彼を見た私が、私の胸を痛めつけているから。情報が直接ハックするのではなく、情報が私に働きかけることで、私がそれに働かされることで、影響が出る。
なんだ結局は一緒じゃないか。それは違う。私という経路を介するか介さないかは、魔法が使えるか使えないかくらい違う。罵詈雑言は聞いただけで胸が傷つけられる魔法の呪文じゃない。単なる空気の振動が私の胸を傷つけるのは、振動に影響された私が私を傷つけているから。
とまあ、何回か書いたようなことをまた書いた。そんな時期なんだろう。前回、前々回と同じく、問題は解決されてない。じゃ凄惨なレイプをされた被害者に同じことを言えるのか。誰もキミを傷つけられない。キミを傷つけられるのはキミ自身だけだと。程度の問題であると、場合分けをしてしまえば解決はするだろうけど、その場しのぎの誤魔化しにしか思えない。つまりはいずれかが間違えているんだろう。理屈か、道徳かのいずれかが。
何回目かの今思うことは、配慮としては直接は言うことではないが、メカニズム的には結局の所そうであり、そういった意味では言える、といったところ。浮気するなら気付かないところでやってくれという話に近い。どちらかと言えば、今この瞬間に宇宙人が時間を止めて自分を拉致し様々な人体実験を行った後に、全く同じ時間に全く同じ状態に再生して時間を元に戻すくらいのもんだけど。その行為自体が自分を傷つけるんだとしたら、ズタボロになるだろうけど、知覚すらできないそれはやっぱり何も傷つかない。催眠術で眠らせてレイプとは違うのっつったら、物理的に傷つけてる点、無意識で知覚しているかもしれない点で違う。長い。眠い。寝る。