自分の位置を教えて欲しいという問いに対し、子どもを見ろ。あれがかつてのお前だ。老人を見ろ。あれが将来のお前だ。っつった、深道の話を拡大解釈すると、あそこの若い兄ちゃんはお前の可能性のひとつであり、あそこでやかましく騒いでるおばちゃんもまたお前の可能性のひとつであり、陽気に口笛ふいてる黒人のでっけえおっさんもまた、なんて具合にわりと全人類に当てはめることができると思うんだけど*1、そう考えた場合、すべての人間が自分の可能性であるというよりも、ある特定の誰かの可能性のひとつが自分である、なんて方が実感としては適当に感ぜられ、その特定の誰かが誰なのかっつったら、それがヒトであり、あるいは神なんじゃないかな、てなことが頭に浮かぶ。ま、与太だからべつにどっちでもいいんだけど、イメージとしては、なんかしらの核からあっちゃこっちゃに伸び伸びた、60億の触手の先っぽのひとつが自分である、なんてなカンジ。そういった意味での可能性。多様性。どんなスピリチュアルだよって話だけどさ。

*1:まあ、できる、ってことでひとつ。