■汚れてない≠綺麗
あたしは汚れちゃったから、もう綺麗じゃないから云々。汚れてない=綺麗じゃねえだろ。そりゃただ汚れてないだけだ。汚れちまえばそれで終わりの。

前にこんなことを書いた気がする。可愛い子と比べたらブサイクな子は性格悪いのが多いだろう。蝶よ花よと肯定されて育つのと、理由もなく否定されて育った違いとして。でも、本当に性格いい子を探すならブサイクな子から探した方がいい。可愛い子の性格の良さは、まだ試練を経ていない、汚れていない綺麗さだけど、ブサイクな子のそれは試練を経た、汚れた上での、辛さを踏まえた上での、性格の良さだから。

今回の場合もまさにそれで、あたし汚れちゃったから、じゃねーだろと。汚れたこれからどうするかっつー話だろうと。
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この前書いた話は、前に書いたこれと近いのかなあっと、ふと思う。
ただの陵辱同人がその過程にしか魅力がなかったりするのは、原作で描かれた魅力をただ汚して破壊するだけで、その結果残るのが、原作で魅力的に描かれていたキャラではなく、たとえばただの金髪ツインテール娘だったりする
文章がつながらん。洗礼、というか、苦難というフィルターを通す前は、どの子が性格いいのか、どの子が綺麗なのか、わからないけど、それくぐり抜けたらわかりやすいよねーっと。性格の良いブスは本物の可能性が高いし、陵辱されてもなお輝く子
やっぱりつながらん。接続詞がでてこない。ま、そういう勝手な思いこみを、投影した結果だったのかな、っと。ある意味、処女信仰よりもタチの悪い幻想とも言える。