金の貸し借り

友人や親類であっても金の貸し借りはいけないよ云々。一般的には金の魔力的な、金は人を変えてしまうのだから、って理解だと思うんだけど、これもっと単純な話、役割が変わるからじゃないのかなっと思う。
看守と囚人の実験のように、金の貸し借りがスタートした時点から、親類やら友人という役割から、貸し手、借り手という役割に置き換わる。貸し手からしたら善意で金を貸してやったにもかかわらず、借り手は借りるときにあれだけありがてえと頭を下げてたくせに、金を返さねえどころかこっちの当然の権利である金の督促をうるさがるとはけしからんって具合だけど、借り手からしたらそこらへんの経緯、長年の友人関係とか泣く泣く貸してくれたとか、がすっぽり抜け落ち、強欲な金貸しとして、自分を追いつめる加害者として、云々。
とか思って書き始めたんだけど、書いてたらちょっとちがう気がしてきた。もっと単純な話、金の貸し借りということが感覚的に理解できないんじゃないのかなっと。手元にあるんだからこれは自分の金である、っつー。所有権が他にあるという抽象概念は、そりゃ言葉の上ではわかるけど、直感的な感覚としてはむずかしいだろうと。賃貸に住んでる人がここは自分の家だと思うのと似たようなもんで。