地震

色川武大のことばが頭に浮かぶ。

俺たち、戦争を知ってるからね。見渡すかぎり焼け跡で、ああ、地面というのは泥なんだな、と思ったんだね。
その上に建っている家だとか、自動車だとか、人間だとかは、そんなものは皆飾りであって、本当は、ただの泥なんだ、とあの時知ったんだ。
だからね、戦争が終わって、また家が立ち並んで、人間がうろうろするようになったけれども、これは何か普通じゃない。ご破算で願いましては、という声がおこると、いっぺんに無くなっちゃって、またもとの泥に戻る。

法句経のことばが頭に浮かぶ。

すべてのものはわがものにはあらず

ピーターフランクルの父親のことばが頭に浮かぶ。

人間の財産は頭と心の中にあるものだけ


かさぶたの下に生々しい真っ赤な肉を見たような、眠っていた巨大生物がほんの少し動いて生きていることに驚くような、そんな印象。
宮城にはむかし住んでいた。沈んだところ。自分の想像力が及ぶ範囲で災害が起きてはじめて実感として理解できた。つながった。色川の語る戦後の風景が、海外の災害が、戦争が、すべて地続きの、海続きの、過去や未来の、この世界で起きた現実だってことが、今になって、ようやく。