桜とひまわり

桜が好かれるのは潔さというよりは、醜く老いさらばえることに対する恐怖なんじゃないかなと、枯れかけのひまわりを見てふと思う。
花は萎れ茎は細くなり水分が失われ下を向いてはいるがなんとか生き残ろうとするせいか、落ちる前の線香花火のように生命力を真っ赤に燃やし、凄みを感じさせるひまわりに対し、綺麗なままに散っていく桜。
鮮やかに綺麗なまま散るのと、醜く老いさらばえても生き抜くのと、どちらが難いか。まあ、老苦という言葉があるくらいだから比べるまでもないのかな。しかし、それにしても、ベタな日本人論じゃないけれど、他の国と比べたら桜にあこがれる人が、というよりはひまわりを恐れる人の割合が、有意差がでるくらいには高い気はする。なんていうか日本じゃ、たとえ古来からひまわりが日本にあったとしても流行らなかった気がする。あの枯れ方に耐えられないっつーか、散りざまが悪し、的なニュアンスで遠ざけようとするんじゃないかなっつー。
でも、ま、あれだ。確かに枯れかけのひまわりは醜くかった。醜くて美しかった。こーゆーのもありかな。そう思えるくらいには美しかった。