ギャップレス現実認識

Aという想定がありBという現実がある場合、A-Bというそのギャップが苦となるので、Aという想定をやめましょう、現実のBを正しく認識すれば、想定のAからではなく現実のBからスタートすれば、現実のBと想定のAとのギャップは少なくなり、いずれB≒Aとなることでギャップはなくなり苦もまたなくなるのです、っていう考え。
この考えが完全に実現された場合、B=Aとなった場合、一体どうなるんだろう。A-Bのギャップこそがエネルギーともいえるから、Aがなければどこへ行くことができるだろう、海腹川背のルアーのようなヒットラーの復活のワイヤーのようなポイントがAでありそれに向かうように引っ張られるようにBを動かすことができるとしたら、夢や理想や目的という現実と乖離した想定のAがない場合、一体どうなってしまうんだろう。一切の運動を停止するのか、あるいは、本来的な欲望だけは残るから、腹へったとか眠いとか、最小限の活動をする形となるのか。
なんとなく。負けることも楽しむ勝負事のように、叶わないギャップも愛でるというか、愛おしむスタイルの方が、挫折と折り合いをつけるスタイル、不条理と友達になるスタイルの方が、よさそうな気がする。B=Aを目指すよりは。まあそれこそスタイルのちがいなのかな。