確かに

自我の言うことを効かない部分は多くあるけど、それを自分以外として切り分けるといろいろと弊害があるのは確か。でも、だからといって、全くの同一視する必要はないんじゃないかな、って気がしてきた。それは自分の内部ではあるが、自我と同一視する必要はないし、すればそちらに引きずられる。最初の例で言えば、こんなに感じていやらしい女だって言ってるけど感じてるのは体ですから、って話なのに、同一視すると体の反応も自我が責を負うことにように。そこで、切り分けるって流れになって、さらにその反動で同一視まで戻ったわけだけど、要は"自分の"体が勝手に感じてますけど、"自分の"脳の一部が勝手にそういう風に思ってますけど、ってすればいい話だよなっと。体や脳の一部がびびってるからって*1、自我まで引きずられて膝を抱える必要はない、ように。

*1:確かにびびるのは生命の安全を守るために必要な反応だけど、どう考えても生命の危険がない状態での、びびった所で何も良くはなりはしない所での、びびった反応。