才能の話

努力の量が即ち結果に繋がるわけではない。だから持たざる者は持てる者に、才能があるから、とレッテルを貼って処理をする。持てる者が行った努力の量や質、方法や諸々の一切を無視して、才能があるから、と。
才能がある者は実際に少ない年月で、多くの年月努力した者より上に立っているのだから、自分には才能があると了解し、それを自信にする。自分には才能があるのだから、と。しかし、自分より少ない年月で自分より上に立つ者を前にして知る。目の前の者は自分より才能があり、自分は目の前の者より才能がない。才能を自信の根拠にしていたその者は、自らより才能がある者を前にして自信を失う。
才能なんてよくわからないものに一喜一憂するのは馬鹿らしい。努力は必ず報われるわけではないが、自分が努力したそれは本物であり真実であり、そして自信になる。どんな時でもそれは変わらないし、それは支えになる。だからそれを信じていこうぜ!、みたいな話を読んだ。
まあ、才能って言葉を定義しないで使うから面倒なことになるんだろうけど、仮にそのまま広義の意味で使うのならば、努力×才能=力であって、才能比べ勝負でも、努力比べ勝負でもないんだから、どちらかに拘泥しすぎるのも馬鹿らしいかなって気がしないでもない*1
これをもう一歩先に進めて、そもそも結果は自分の領分じゃないってことにする。その時の様々なパラメータと自分の力、相手の力を勝負という場で計算した結果、出てくるのが結果であり、その時自分にできることは、自分にできることを精一杯するだけだという風に。そう考えれば、結果がどうあろうと、仮に才能がなく、負け続けることになろうとも、心は折れずに、邁進し続けることができる。結果を糧にせず、自分にできることをし続けるという努力を、それをし続けているということを誇りとして、更に燃やし続けることができるだろうから。まあ、言ってできれば、誰も苦労はしないけれど。

*1:そもそも努力も才能もそんな簡単に括れるもんでもないだろうし。