今更だけど

aだから肯定、bだから否定とかじゃなしに、肯定だからaで、否定だからbなんだろうな。それ故に、aだから肯定、aだから否定っていう一見ダブスタっぽいのも、実は肯定だからa、否定だからaって具合に快不快や好悪で先に決めた結論を補強するために引っ張ってきた理屈を逆転させてaだから肯定、aだから否定っつってるわけで。
例えば、ヨーグルトに付属の砂糖を入れて食ってると「砂糖入れるとかないわー。向こうではプレーンで食うんやで。」って言ってきた人が「このキムチ酸っぱくてよう食わんわー」と言ってたので「向こうじゃ酸っぱくなっても気にせず食べるらしいよ。」と言ったら「いやここは日本やで?」と素で返してくるように*1。その人の中には現地での食べ方を優先なんて論理はなく、プレーンヨーグルトが好きだからそれを補強するために現地での話を利用し、酸っぱいキムチは苦手だから現地での話は無視するといったように。
そういう意味では前見た夢の話と似てるな、っていうか一緒か。

■理由の結果に行動があるんじゃなく、行動の結果が理由であるとしたら 2007-09-14

親にスイカを勧められる→理由を聞くが判然としない→仕方がないから食べたらまずい→以前食べたことがある味だ→そういえばこの前買ってきたのを食わされた光景を思い出す→ごるぁ!

夢の中にそんな一節があったわけだけど、今年の夏はスイカを食べていないし、あのような味のスイカを食べたことは一度もない。だからまあ、夢の流れの結果、スイカを食べた瞬間に捏造された記憶なわけだけで、それは普通に思い出すのとほとんど変わらぬ速度だった。前も思ったことだけど、例えば結果を決めてから書かれる小説の登場人物は*1先に行動があるにもかかわらず自らが考えた理由の結果に行動していると思うように、スイカを食ってからその理由や思い出が瞬間に捏造される夢のように、自らの理由の結果に行動があるのではなく、先に結果があって後から理由が決定されてるとしたら、テンション下がるよなあっと。

*1:結構実話。