大地「クリスマスッ!ついにこの日がやってきぞぉっ。聖誕祭のこの夜は、レンタルビデオ屋から寂しい男たちに祝福が与えられる。聖なるクリスマス割引っ!3本以上で1本無料。5本以上なら、なんと2本が無料っ!!あぁっ。素晴らしきかな。クリスマスよ…」
圭太「(クリスマスの日にエロビ…。自分の行動にこれっぽっちも虚しさを感じていないのが、安住さんの偉いところだな…)」

妻しぼ り

彼が虚しさを感じていないのは他者と自分を分けているから。他者を羨んだところで暗い感情を湧き出るだけで何にもならないし、そもそも他者は自分とは違うのだから持っているからと言って羨む必要はない。例を変えると今日見た盲目になりかけなパラリンピックに出る選手が、見えないが故に自分ができないことを考えて嘆くよりは今の自分に見えて出来ることをやりたいと思う、的なことを言っていたけど、それと同じく狙ってたA子さんに振られたばかりの安住さんがクリスマスというその日にできないこと、彼女と仲良く繁華街を歩く、を考えて嘆くよりは、今できて自分がしたいこと、クリスマスに割引してくれる大好きなエロビをるんるん気分で借りるのは、他者と自分を分けているから、現在の自分にできることをしたいことを把握しているから、と言えなくもないんじゃないのかな。いや、本当のところは知らんけど、そういう風に見ることもできるよね、と。他者との関係のうちに自分があるのではなく、自己の延長線上に自分があるといった具合に。
こりゃいいわいね、って気がしなくもないけど、これにも勿論欠点があって他者を過剰に気にする必要がないから、置いてかれやすい。他者を羨みそれを得るために労働し獲得し、獲得された者は同じであることを嫌い新たな物を手に入れようと欲望し労働し獲得し、そんな繰り返しな社会においては…って、書いてはみたけど今時そんなベタなベタな人が大量にいるもんなのかな?ス イーツって言われる人でもそこまでじゃない気がするし。
まあ、あれだ。足りてる人は、満足してる人は終わってる人だ。だって満足してたら、不足を感じてそれを解消しようと邁進しようとする、それがないんだから、っていうあれと似たようなもんだよね。どこらへんがって、ほら、あの、そこらへんが。てか、あれだ。ただでさえ飽き気味だったのに途中で間開けちゃうと、飯食ってた、書く気失せ失せだよね。ウセウセ!ワッホーイ!