思索ってのはあれだ

考えること自体に意味があるんだろうな。だからくっだらねえことを考えてたとしても思索は思索。まろま ゆで強面の大工の棟梁が萌えについて考えるのも、真理に迫らんと探求する何やらとかと等しく価値がある。
思索の何がそんなに大事かっつったら、考えるプロセスというノウハウが大事なんだろうな。車輪の再生産がノウハウの蓄積として意味があるように、式の証明を理解して使うことで式を変形させ応用ができるように、自分の中に生み出す経路があるってのは大きい。
それがなければ他人が生み出したものを使うしかないし、せいぜい取捨選択くらいしかできやしない。でも経路ができていれば、自分にあったものを自分で生み出すことができるし、他人のものを使うにしても、少し変形させて応用させたり、他のものと組み合わせて新たなものを作り出したりもできる。
そういった感じに考えることは大事ってことなんだろうなあっと理解。