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適職信仰について何か言うときに*1、誇りなんて後からついてきますよって例を挙げようと、一般的に卑賤とされる職業に就いてる人が他の職業に就いてる人より誇りを持っていることを言及しようとして、ふと思う。ていうか、全般的に後からついてくるというよりも、一般の職業人はさっぱり持っていなかったりするのに、卑賤とされる職業人のが誇り持ってる人が多くないかと。つまりは、その職に就いてると必要とされるから、誇りという理由が自然と要請されるような環境にあるから、自分やら他人から何でそんな卑賤とされる職業に就いてるの?という問いや眼差し*2に対しての返答としての理由が、理論武装が求められるから自然とって感じなんだろうなっと。
話変わって。負ければ負ける程強くなる。敗北は一種の否定であるから、自然とそれを乗り越えるための理由や精神が要請される。従って卑賤とされる職業人の誇りと同様に、自然と強くなっていく。まあ腐っちまう場合もあるけどな!元があれだと大して変わらなかったりもするけどな!ていうか弱くていいから勝たせてくれよって思ったりするけどな!まあ精々頑張ろう。否定されたところで消えちまうわけでもないんだから。その点捨ててくれるな中国武術に似てなくもない。他者の評価に存在を依拠すれば容易く揺らぐが、自己の評価に依拠すればビクともしない*3。それに揺らいだ所で消えはしない。存在だと思ってるところが揺らいで消えるだけであって、積み重ねてきたリアルな存在は依然として残る。捨ててくれるな我が身体って感じで。そんなこんなで要請に応え中。しがない理論武装。どうでもいいけど歯牙なしって書くと格好いいね。辞書見る限り、さがなしの転らしいから全然関係ないんだけど。