勝手に参加させらレース

以後は実際の当事者の方からしたら失礼極まりない話だけど例として。前にも書いたけど、あーEDになりてーとか、バツイチになりてーとか、そういったことを思っちゃうのは、そうなればもう走らなくてもいいから、肩の荷が下りるから。走らなくてもいいから、肩の荷が下りるからと思ってるということは、いつの間にか走らされてるし、背負わされているってこと。何に?何をっつーと、最初に挙げたようなエクスキューズがない限り一般の男女であれば皆参加していると見なされる結婚レースに、であり、そのレースの目的とされる結婚という期待、周囲が結婚するなか未だに結婚しないの?という重圧、そういった類の荷を、である。
こういった無意識の内に参加させらているレースは多い。あー、○○だったらなー、という○○が一般的に考えて否定的・ネガティブな場合の呟きから逆算していけば発見することができることが多い。普通は望まないことに関して、わざわざそうだったらなーっと望むということは、その裏にそれ以上の何かが、勝手に参加させられてるレースからのリタイアなどが、含まれてる場合が多いから。さっき以上に失礼極まりない話ではあるんだけど、たまに、あー余命半年だったらなーとか、車に轢かれそうな子供助けた身代わりにとか、思うのは、人生もレース化しているという可能性でもある*1(響き的にはゲームのがよかったな)。良い結果を残す自信がないから、もっともらしいエクスキューズを得た上で、リタイアすることを望む、といった具合に。
でもこれは、一昨日の話よろしく、自分をレースに参加させているのは自分自身でもある。コンプレックスが他人を通して自分に跳ね返ってきてる他人を見下してる点であるように、このレースも同様の構造を持つ。レースとしての認識を持たなければそのレースに参加させられることはないし、レースでの上下を持たなければ自分もレースの中で上下に位置づけられることもない。で、何だっつーと、うーんっと、あれだ。もうこんな感じでいいんじゃね?、ってことだ。もうやめて!私の集中力はもう0よ!って感じに集中力切れたし、飽きたし、忘れてきたし、疲れたし、腹減ったし。つーわけで、終わり。

*1:単なる死にたがりとかかもしんないから。