無意識さん

の行動を観察してみると自我が傷つくことを回避しようと色々頑張ってくれてるのがわかる。死を選ぶのも逃避という形で表されることが多いように、生物としての終わりを以てしても自我を守ろうとしてくれる無意識さん。でも自我を守るために死ぬだなんて生物的におかしくね?って気がしないでもない。これはどういうことか。体と無意識さんは別の部署であるということなんじゃないかなっと。
生物としてはひたすらに欲望を肯定し続けるが社会生活を行う上ではそれだと結果的に見ると損が出てくることが多い。例えば女と見れば即レイプって感じに欲望に従いレイプしてたらその社会集団から弾かれる上にその集団の全員を敵に回してしまうけど、欲望を抑えて集団生活を営めばその社会が得る様々な恩恵にありつけるように、肯定しかない欲望を否定する機関があった方が得することが多いので理性が生まれたって話ライクに、そもそもからして別の部署。体は欲望し続けるように、無意識さんは守り続けるんじゃないのかなっと。驚くほどに縦割り行政的であるから、自我を守るために命を絶つという、一見ちぐはぐなことが起こりうるように。