才能話は

黒人は知能指数が云々ってのに物凄い反論してた人に対して、黒人の運動能力が優れているのを認めているのに知能が劣っていることを認めないなんておかしな話だよね、って言ってたそれに似てる。
ほら!かくかくしかじがで才能ってのは存在するんだよ!って言う人に対して、いや誰しも最初は下手であってそう見える人は地味な下積みがあるんだよ!と反論する人に、才能はあるだろ常識的に考えて、逆に言えば全くバラつきのないニュートラルなものだと考える方が無理あるだろ、俺はお前じゃないようにお前は俺じゃないんだから、それぞれみんな違ってるわけなんだし、って言うそれが。
紐手的なそれも根っこにそういう平等概念がある気がする。自分はこんなにも誠実なのに、どうしてあんな人間のクズみたいなやつが云々。まあそんなにも誠実な彼が同じルックスになったところでそう容易には勝ち得ないだろうように、経験等々を踏まえた恋愛力的なものがあるとは思うんだけど、そこらへんのどうしてあんな人間のクズにグッドなルックスが割り振られ、誠実なる自分にはこんなルックスなのか的な平等概念が。いや、まあ、これは別に平等って概念が普及してない古代に於いても起こりうるだろうから、どうしてあいつの畑ばっかり作物が取れるのかとかどうしてあいつの家ばかり富みまくりなのかとか、適当な例じゃないっぽいな。まあ、いずれにしろ、スヌーピーも言ってるようにどんなカードでも一度配られたからにはそのカードで勝負するしかないよねっと。たとえ見るも無惨な容姿だろうが人間ですらない犬だろうが。
この前の話風に言えば、自動麻雀卓みたいにカードを配る世界に意図はなく単なるシステムとしてそれに従ってカードを配る。その現実を受け入れられないと、こちら側の理屈で勝手に世界の向こう側に意味を求めて、意図がないが故に理解できない世界を解釈し咀嚼し取り込もうとする。例えば神様がいて醜悪なる容姿はそんな容姿を持ちながらも自分が高潔なる精神を保ち続けることができるかという神の試練である云々って具合に、何の意図も意味もないが故に理解できない世界を、神様とか試練とか自分に理解できる理屈で理解し解釈し咀嚼し自分のわかる世界へと取り込むように。だからまあ、平等って概念押しつけたり、試練って概念で理解したり、そんなんするのは勝手と言えば勝手だけど、世界さんはそんなのとは無縁なんだからカードの配られた意図とか意味を理解しようとするよりは、カードの切り方を考えてる方が建設的ではあるよねっと。