考えてみれば

皿洗ってる時とか自転車に乗ってる時の考えは自由で純粋な純然たる「考え」である気がする。いや内容なんて至極くだらないことだけどその有り様が。下の下の話風に言えば、提示される現実を物語として仕立て上げる作業から解放された、自由で純粋な純然たる暇つぶしとしての「考え」。単純な肉体的な作業に従事している時に余ったリソースで有り余る暇な時間を潰そうという、そんな「考え」。同じ読書という行為でも、将来のために行う読書と、今という時間を楽しく過ごすための読書とでは違うって話と一緒で、単純作業中の暇つぶしの考えは、純粋に現在のために費やされてるというところが、そういった印象を抱かせるんだろうなっと、これまた皿洗いながら考えてた。いや、だって、暇だしな。