権力を固定化させないための装置が民主主義ならば

選挙いかないどころか、選挙やってる振りして実はサイコロで決めたりしても、別に問題ないわな。ただ、それは権力者に知られてはならない。サイコロで決まるのならば何をやっても関係がないのだとバレてはいけない。そうした途端に瓦解する。だから得体の知れない民意が存在しているという幻想が肝要になる。民意によって決まるのだから善なる行為をしなくてはならない、少なくともそう見えるように振る舞わなければならない、という幻想によってシステムは回っている。
だからまあ、あれだわな。民意によって決まってるんじゃなく、民意によって決まっているという幻想によって決まっている。ただそれはそう意識された時点で瓦解してしまう。有権者にしろ政治家にしろ。もし選挙がサイコロによって不可解な結果を叩き出したとしても幻想が生きている限り、それは現実的な意味で咀嚼されて理解される。たとえば政策がハッキリしなかったからだとか、選挙のPRが効果的ではなかったとか、無党派層が云々だとかって具合に、民意という幻想が生きている限りはそこに何らかの意味があるとされるが、幻想が消えてしまったらそれはただの意味のない現実であると気づいてしまうのだから。割とい.ろいろなことに当てはまるよね、これ多分。