外人にUmeboshiと聞かせても唾液は分泌されないように

言葉や視線自体が人を殺すのではなく、それを受け取った自我が自分を殺す。だから押し潰されそうな現実だとか死にたくなるような現実だとかいうけど、結局のところそれら自体は自分という身体には何ら影響することはなく、その現実に直面した自我が身体に害を及ぼす。
ただ、自我の崩壊ってのが本当にあるのか知らないけど、もしあるとするならば、それらは自我自体を破壊する。スタンドの理屈で言えば、私が私と思っている内面こそがスタンド、身体という主人の側に立っているものであり、押し潰されそうだとか死にたくなるような現実は敵のスタンドに相当する。ただ、全部スタンドの理屈で説明しようとすると逆転させなくちゃならないから*1、便宜的にスタンドはスタンド自身にしか攻撃できず、本体には攻撃できないとする。本体がスタンドを攻撃できないのと同じように。
そう仮定した場合、押し潰すような死にたくなるような現実というスタンドは私の身体という本体に直接害を及ぼすことはできない。Umeboshiと聞いた外人の身体は唾液を分泌しないように、Umeboshiというそれ自体に意味があるのではなく、私というスタンドに影響を与え経由することで本体にその効果を及ぼしているのだから。しかし、私の内面というスタンドは破壊することができる。
例えば虫が嫌いな女性の手足を縛って体中に虫を這わせる某陵辱ゲーの場合。全身のありとあらゆる所、皮膚はおろか口内や性器内などにも詰め込み、肌が見えないくらいの虫を這わせたところで、身体という本体の次元で考えるならば、ただの無毒な虫が何匹這ったところで死に至るどころかダメージすらも与えられない。しかし、女性は叫び喚き発狂し最後には自我が崩壊する。何ら毒を持たない、ただの虫であるにもかかわらず。
その時何が起こっているのかというと、女性の内面というスタンドが、女性の考える虫というスタンドに攻撃を受けて破壊させられる。現実に存在する虫ではなく、現実を二重化した際に生じる虫。だからただの無毒な虫ではなく、ぬるぬるでぬめぬめで形が気持ち悪くて見るだけで悪寒がするような生理的嫌悪を催す虫という、その女性が考える虫に関する否定的なイメージの修辞がたっぷりついた強力なスタンドとしての虫。
ちょっと外出。

*1:身体がスタンドで、内面が本体って風に。