これはわかりやすい

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上の写真を見ると、清楚な人派手な人地味な人穏やかそうな人変わった人等々、いろいろな人がいるように見える。でも、下の写真を見ると違った印象を抱く。いろいろな人がいるのではなく、ヒトがたくさんいるだけなんだと。
上の場合は服によって個性なるものが表現されているわけだけど、結局の所、日常生活のそれもその服と一緒なんじゃないのかな、と。アウシュビッツに入れられた時、全てを奪われ裸にされ丸刈りにされ、そこには今まで自分を説明してきた社会的な語句、例えば医者であり○○大卒であり様々な友人を持ちなどといったものが全て奪われて、ただこの肉体を持つだけの私だけが残ったって話があるけど、そんな感じでさ。
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本番シーンも面白い。同じ行為をするように指示されているんだろうけど、この絵面には私と彼だけの特別なものなんて存在しない。キスも愛撫も挿入も特別なんてものは一切なく、ただ発情するヒトの集団に還元される。これは何もこういった撮影という特殊なシチュエーションに限ったものではなく、実際に私と彼は特別でそこには真実の愛が存在するというカップルの情事を隠し撮りしてそれを並列的に配置した映像を見ても同じだし、これはそれの再現でもある。いや、単なるネガティブな話じゃなくて、そこを踏まえることによって新たに踏み出せる次元があるよねっていう話。つーか、もう4時かよ。とりあえず寝よ。服を着せる話はまた明日。