物言わぬ子供

乳母車に乗ってる物言えぬ子供は大体前方に限られた視界の中で物珍しいものを見ているのでこちらが見ると大体目が合う。そしてこちらが見続ける限り彼の方から目を逸らすことは少ないように思える。こちらが少し目を離した後に見ても彼はまだこちらを見ている。しかし長い間目を離した後に彼を見やると彼はもうこちらを見ていない。
彼の目から見たら自分は一体どう映っているのか。自分が彼を見ていることを彼が見るとき、見つめ合ってる時は、見知らぬ自分という存在が彼自身の何かを見ていることに、見知らぬ自分という存在の中に自分が存在しているのだと、彼は気付く。しかし自分が彼から目を離したとき見知らぬ自分の中にもう彼はいないのだと気付く。彼を見ない見知らぬ自分をしばらく見ていても見知らぬ自分の中にもう彼はいないのだからと彼は見知らぬ自分を見つめることをやめる。
って、わかりづらっ。構成も勿論そうだけどそれ以上に見知らぬ自分とか彼とかの呼称のような気がするので試しに置換。
彼の目から見たら自分は一体どう映っているのか。赤ん坊を見つめる私をaとする。aが彼を見ていることを彼が見るとき、見つめ合ってる時は、aという存在が彼自身の何かを見ていることに、aという存在の中に自分が存在しているのだと、彼は気付く。しかしaが彼から目を離したときaの中にもう彼はいないのだと気付く。彼を見ないaをしばらく見ていてもaの中にもう彼はいないのだからと彼はaを見つめることをやめる。
と、まあ、そんな感じなのかなあっと、しばらく目を離したらもうこちらを見ていない彼を見ながらふと思う。これはこの前の話、髪切ったのに気付いてくれないと凹むのは、髪を切ったのに誰も気づいてくれない→切る前の自分と切った後の自分はこんなにも変わったのに気づかない→もしかして誰も私を見ていない?→見えてない?という透明な存在に近いものなんじゃないのかという話と、認知がなくなることを存在が消えることと感じてしまい身や心を磨り減らしてまでも人気を獲得しようと必死になる話の根っこみたいなもんだろうな。aが見つめてる時にはaの中に赤ん坊という私は存在するが、aが見つめるのをやめた時aの中には赤ん坊という私は存在しないって感じで。