イケメンがモテるのを見て

「ケッ!顔は良くても男なんか中身は一緒だい!」っと言う男に対して、「中身が一緒だからこそ良い顔の方を選ぶのよ」と女が答える4コマがある。もっともな話であるが、本当に中身は一緒だろうか。多分中身の方も大分劣るんじゃないかなっと、気のいいイケメンを見てふと思う。
可愛い子は性格が良い。少なくとも不細工な子より性格が良い子の割合が大きいと思う。理由の前にまず一つたとえ話。たとえば、内戦地域で生まれ育ち性格が荒みまくった子がいるとする。その子を眠くなるような脳内にお花畑が咲き乱れるような平和な国へ連れてきて穏やかになった場合、その子が善か悪なんてのはほとんど意味をなさない。人を信じるよりも裏切る方が効果が高い環境に於いては裏切るという選択して、人を裏切るより信じる方が効果が高い環境に於いては信じるという選択をしているだけなんだから。だからもし仮に、荒みまくったその子が平和な国で何の不安もなく花よ蝶よと育てられたならとても優しく穏やかな子に育つだろう。周りはみんな優しい人、優しい環境、優しい世界なんだから。


さて、そう考えた場合、可愛い子が不細工な子より性格の良い子が多いということになる。天使だ女神だ、とまではいかなくとも、可愛いね可愛いねと周りがみんな優しくしてくれる環境に育った子達と、顔が悪いからと死ねだとか消えろだとか罵倒されまくって育った子達。一体どちらが性格の良い子が多く出るだろうと考えたら、まあ前者の可愛い子だろう。男の場合もしかり。幼い頃から肯定され続けた子と、否定され続けた子。どちらが真っ直ぐ育つかと言えば、ひねくれずに育つだろうかと言えば、これまた前者だろうから。
そうすると、最初の例のような場合、更にイケメン君の評価が高くなる。気のいいイケメンと、気の悪いブサメン。顔も中身も良いのならば、当然イケメンを選ぶし、それどころかブサメン君の拠り所である、中身という土俵ですら負ける。顔を抜きにしても、素直に育った気のいい男と、あいつはイケメンで肯定されて育ったが故に性格がいいってだけであって自分が性格が悪かったとしてもそれは否定されて育ったが故であるんだから自分が悪いわけじゃないだとかぐちぐち抜かす男。比べるまでもなく前者だろう。


だからせめて中身を土俵に勝負したいのならば、イケメンがどうだとか、自分はブサメンだからどうだとかを、生まれ持ってのどうしようもないことをぐちぐち言うのではなく、自分自身が気のいい人間になることを目指した方がいい。彼らは顔が良い上に、それ故に性格も良い可能性が高いのだから。
それにイケメンにはなくて、ブサメンにはあるものがある。それはそういったコンプレックスという名の試練。優しい世界で育った彼らは、特に暗黒面に墜ちたりすることなく、ずっと素直な良いやつである。でも否定されて育った人間は違う。ほとんどのやつが暗黒面に叩き落とされる。周りを、世界を、恨み、妬み、嫉み、負の感情を熟成させる。それが上の段落の状態。顔を差っ引いても気のいいイケメンに勝てるわけがない状態。性格ですら負けてる状態。
でもその試練を乗り越えて気のいい人間になれれば彼らに先んじることができる。勿論彼らの中にも試練を乗り越える、真実気のいい人間がいるかもしれないが、試練を受けてない人間が多いのならば、結構な人数が挫折するだろう。つまりは人生で躓いたときに気の良さを保てないかもしれない。でも初めから暗黒面に墜ちてその試練を乗り越えた人間は強い。たとえ躓くことがあったとしても乗り越える方法を知っており、現に乗り越えた経験を持っているのだから。そういった意味で性格云々というのならば、まず己が暗黒面の克服を第一にした方がいいんじゃないのかなっと、気のいいイケメンにあった後、自転車に乗りながら考えた。