昨日の話を前提とすると

まあ当然「悪いこと」だけじゃなく「良いこと」や他の様々なことも、理由によってではなく、それが「そうである」とされているが故に、そうであるということになっていることになる。
勿論、起源を辿れば理由があり、その理由のためにそれらのことを定めたわけだし、現代でもその理由が通用するような例も多々ある。通用する例は親を大事にとかで、通用しない例は妻の不貞は百叩きとか?まあ、そういった具合に通用する場合もあるんだけど、その場合も受容のされ方としては一緒で、それが「そうである」とされているが故に、そうであるということとして受け取られる。
なぜならば、昨日の話の例にあるように、現代では通用しない理由だと論破しても彼らはそれを悪いことであるとして変えなかったように、その理由によって悪いことと判断しているわけではなく、それが「悪いこと」とされているが故に悪いことだと認識しているのだから。故に、起源での理由が現代でも通用する場合でも、それはその理由によって良いこと悪いこととされているわけではなく、それが「良いこと」「悪いこと」とされているが故に、それらを良いこと悪いこととして受け取る。


さて、そういったわけで様々なことは理由によってではなく、それが「そうである」とされているが故に、そうであるということとして受け取られている。魂のステージ(笑)という言い方で言えばそれは第一段階であると言える。様々なことをそれが「そうである」とされているが故に、額面通りに受け取っている段階を。じゃあ次の段階は何だというと、そういったことを再構築する段階。
「そうである」とされてはいるが、それがどうも目の前の現実とは大きく乖離している。悩み苦しみ結論する。「そうである」とされていることが間違っているのだ。だから目の前の現実を基にして新たな「そうである」ことを作るのだ。起源に於いて「そうである」ことを作った先人達と同じく、現実を基にして新たな「そうである」ことを作り、現実を再構築するという段階が第二段階。


前に用いた例で言うならば、たとえば、目の前にいる2次元のおとこのこが可愛くて心が動かされる。しかしおとこのこに興奮するだなんてことは「異常なこと」とされている。でも可愛い。でもそれは「異常なこと」。でも…でも…と葛藤がしばらく続いた後に、結論する。「異常なこと」としているその常識が間違っているんだ。自分は目の前の現実、可愛らしいおとこのこにどうしようもなく萌えているんだという現実を基にして、世界を再構築する。べつにおとこのこに萌えるのは「異常なこと」ではなく「普通のこと」であるんだと。
傍から見れば女の子の外見に男の子って属性*1がついただけのキャラでも一般的には思い悩む。もし仮に、同じ造形の萌えキャラでもそれは変わらないだろう。元々女の子のキャラを見せてさんざん萌えさせた後に、実は男の子なんだよという情報を与えれば、彼は思い悩むだろう。全く同じ造形のキャラに、先ほどまでは萌え萌え言っといて、今度は頭を抱えて悩んでいる。滑稽な姿ではあるが当人からしたら真剣そのもの。
そういったことがあるよねっと。傍から見たら滑稽そのもの、あるいは何を悩んでいるのかわからなが、当人は真剣に思い悩む。それは物的な現実という視点からすれば理解しがたいことではあるが、数多の「そうであること」によって構築されている世界の住人からすれば恐るべき悩みである、みたいなことがさ。だからまあ第二ステージ、自分の価値観によって、現実を基に「そうであること」によって構築されてる世界を再構築できるようになったら、そういったこともなくなるのかなっと、まあ、そういう話。

*1:性ですら属性になるというのは凄い話なんだけど。多分再構築されたときに性別は属性になる。あるいは「2次元に於いて性別は属性であるということ」を情報として受け入れる場合か。