もし仮に霊がいるとしても

まあ似たような話にはなると思う。例えば自分が霊だとしたら、99%くらいの人が自分の存在には気付かず、何の影響も与えることができず、何の影響も与えられることなく、ただただ独りぼっちで膝抱えるわけだ。抱えられる膝があるかないかは置いといて。
そんな中で自分の存在に気付くことができない人間にちょっかいを出しても何も面白くないし、空しいだけ。だからこそ、自分の存在に気付くことが出来る、自分の存在を認めることができる、自分の存在を担保してくれる霊が見える人間にちょっかいをあれこれ出したくなるのも道理じゃないかなっと。自分のアクションにその人間がリアクションする限り、自分は誰にも見えず影響を与えることができない存在しない幽霊ではなく、ちゃんとそこに存在している存在だと保証されるのだから。
いやいや話し合えばいいじゃないかって気もするけど極端に疎外された存在はそんな高等な手段は難しい。モーニン グの宇宙漫画でバイトの大学生を10日間隔離する実験をやったら次第におかしくなって8日目には全裸になってケツをカメラに向けてパンパン叩き出したって話があったけど、それと同じようにより低級な、直接的な方法で世界に向けてアクションを起こす。世界からの応答がない隔絶された存在であることに耐えかねて、より原始的で激しい直接的なアクションでコミュニケーションを取ろうと図る。世界からの応答を待ち望む。生きてる人いますか?、ってゲームやってないからどんな文脈か知らないけど、そんな感じで応答を待つ。誰か僕が見えますか?僕は存在していますか?いたら僕の行動に対して誰かリアクションをしてください。だからこそ切羽詰まったやつらは言葉だなんて高級な手段を用いずに、もっと直接的な手段を以て訴える。僕は存在しますか?存在するならリアクションしてくださいって。
と、まあ、そう考えてみれば霊は見える人にしかちょっかいを出さない、話し合いだなんて高級な手段ではなく好きな子に意地悪するガキみたいな手段でちょっかいをかけてくる、っていうのにも、それなりの理屈はつくんじゃないのかな。知らんけど。どうでもいいけど、こういう話すると人間の事件とも被っちゃうね。ま、人間の立場で想像してるんだから当たり前と言えば当たり前か。この理屈で言えば自殺じゃなくて凶行を選ぶのはわからない話でもない。でもまあ、どっちかっていうと、id:snyd:20080609って感じはするけどな。進んでゲーム盤を引っ繰り返して放棄することで、自らがゲームを降りたのであって、決してゲームに敗北したわけではないってあれ。