「手を組みたければ、相手が誇りとするものに敬意を払え」

もっともな話だ。自分が好きなものを馬鹿にされて腹が立つ仕組みも多分そこで、例えば相手が自分から見たらくっだらねえことを誇りにしてるとする。空き缶のコレクションがどうのこのうとか。自分から見たらくだらないことこの上ないんだけど、自分→もの、という視点でくだらないと論ずるのではなく、自分→相手→もの、という視点で敬意を払わなければならない。
糞くだらねえものですが、あなたという尊敬に足る人物が誇りとするものなのですから、敬意を払いましょうって具合に。よく物語にある、私はあなたという人間を知らないが、私の信頼できる友人である○○があなたを信ずるのだから、私もあなたを信じましょうっていうあれと一緒でさ。そうすることにより、私が誇りにしているという理由を経路に敬意を払ってくれた相手に対して、自身を承認されたことになるから悪い気はしないし、逆にもの自体を貶されたとしたらそれは相手→ものではなく相手→自分→ものという風に、それを誇りにする自身すら貶されたとして感じてしまうだろうし。
久しぶり、つっても2日振りなんだけど、間が空くとアウトプットの経路があれだな。ただでさえ読み辛い文が更に読み辛く。ま、読む人おらずだから別にいいっちゃいいんだけど、それでも何かすっきりしなくはある。もっと簡単にできそうな、冗長な数学の式やプログラムのコードを目にしてる気分?動くんだから別にいいちゃいいんだけど、でもなんかなあ…っていう。そんな感じ。