真理ってのは

電線見てy=a cosh(x/a)ってのが頭に思い浮かぶようなことだよなっとか思う。確かにわかる。だが本当にわかるだけっていう。いや、それを求めた結果の答えが真理なんだから、至極当たり前なんだけど、過剰に期待してる場合が多いように思えるからさ。
例えば世紀の大発見が相次いで人間の真理や世界の真理や宇宙の真理がわかったとする。だがわかったところで私の悩みは消えたりしない。だって関係ないんだから。同じように劇的に何かが変わったりはしない。だって真理がわかっただけなんだから。確かに、地動説のように、教科書の記述や何やらは変わるかもしれないけど、ぶっちゃけた話、地動だろうが天動だろうが日々の生活はほとんど変わりはしないように。せいぜい常識が天動から地動に書き換わる程度。別に考えた結果身につけた知識ではなく、聞いて覚えただけの知識なんだから。
いや、だからどうだってんじゃなく、むしろ逆でどれも等しく価値がないんだから、好奇心によってそういった答えを追い求めることは素敵なことだと思う。でも、好奇心だけじゃなく、真理に万能な何かを求めてるんだったら、ちょっとあれじゃないかなって話。電線見てカテナリー曲線思い浮かべてた人は理屈を追求することで見える世界が広がる経験の素晴らしさってのを心から楽しんでたし。確かに知識や真理ってのは素敵なことだけど、万能な賢者の石なんかじゃないんだからさっていう。
某アニメのSSで割とベタに見られる赤い海に浸かってたら全ての知識を得たぜ!全ての真理を手に入れたぜ!って状況になったらどうなるか。多分ほとんど変わりはしない。電線見ながら頭にy=a cosh(x/a)って浮かぶように、所詮その程度の、そしてだからこそのちょっと素敵があるだけだろうと。
まあ、無駄に本読みながらそう思った。いや、飽きっぽいからあんま読めてないんだけどさ、でも仮に全部読めたとして、そしてもっともっと読めたとしても、所詮その程度の、ちょっと素敵があるくらいなんだから。万能とまでは言わないまでも、求めすぎてた部分があるなーって、反省。純粋100%好奇心とか娯楽として読んでるならいいんだけど、どれも等しく価値がないのならば、半ば強制的に読む高尚な本よりも、だらだら寝ながらPSPで読むくっだらねーSSの方が、楽しんでるという点で、はるかに価値があるだろうし。