金で買えないものなんてありはしない

ゲームしてたらそんな言葉が出てきた。久しぶりに聞いたな、そのフレーズ。でもまあ、何だろうな。改めて問われて考えてみると。まあ、ぱっと思いつくのは幻想かな。金で買えないものには幻想の余地があるけど、それを金で買ってしまうと幻想は失われる。だから金銭より幻想の保存が優先されるようなものに於いては金銭は余り意味をなさないんじゃないかな。

例えば、プレゼント交換の約束をしていたヒロインが主人公のためにマフラーを編み、待ち合わせ場所に行く途中、どんな贈り物をされるのか、花かなチョコかなぬいぐるみかな指輪かな、とそれぞれの贈り物について思いを巡らせていたにもかかわらず主人公は忘れており、焦った主人公はせめて何かをとの気持ちから毛糸代にとお金を差し出してしまい、それを見たヒロインが泣いて帰るって話がある。長い。まあ要はキョンハルヒ。とある絵描きさんが描いた漫画の話。

そこではヒロインが主人公のために想いを込めた編んだ掛け替えのないマフラーが、主人公が出した3000円と交換されてしまうことで、ただの労働になってしまう。主人公への気持ちを込めた手編みのマフラーが、3000円の収入を得るために編んだだけのただの手編みのマフラーに。ここでもし仮に主人公が3000円分のプレゼント、花束でもチョコでもぬいぐるみでも指輪でも何でもいいから3000円分の何かを送っていたらどうなるか。事情は全く異なる。お互いがお互いを思いやった素敵なプレゼント交換になるだろう。

問題は額じゃない。A=マフラー、 B=3000円、C=ぬいぐるみ(3000円)の場合、A=Cが成り立つならば、C=Bなんだから、A=Bが成り立ってもいいじゃないと考えられるかもしれないけど、問題は額じゃないのだからそれは成り立たない。問題はその間接性。間に挟むことで幻想を維持することが主眼なんだから。

もし仮に思考を100%伝達する通信手段を持った悟り悟られな二人が、「おっぱいでけえなー」「金持ってっからなー」ってお互いにわかってしまったら協力的な関係は難しいけど、愛してるという不完全な言葉を用いたのならば、お互いが愛に関して抱く素敵な空想を思い抱くことができるように、間に何かを挟むことで幻想の余地が生じる。

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マフラーに限らず売春とかでもそうだけど、もしそれに値段を付けて売り渡してしまったら、もうそこに幻想は宿らない。なぜならそれを金と交換してしまった私を見た人がいるから。他の誰でもないこの私自身が。故に誤魔化すことはできない。確かにそれを隠蔽しようとする心の働きはあるけどこの私自身がはっきりと見てしまってる以上、それは強迫的に亡霊のようにつきまとい離れることがない。私が、私自身がそれを知っていたと、認めて受け入れるまでは。
って、まあ、なんか大袈裟な話になっちゃったけど、もっとシンプルに別に金に困ってなければ、わざわざ売らない人なんてザラにいると思うけどな。あるいは別に金で手に入るものに執着がない人とかか。ま、なんかあれだ。すげーどーでもいいよねー。飽きた。