元々一つの話じゃないから繋ぎに無理がでる

ブックオフのような大型古書店?に自分好みの本が少ないのは何でだろうって昔から思ってた。それっぽいのがあっても、何だかつまらなさそうなのばかり。ちっちゃい町の古本屋にはあるのになあって。まあ、好みの本が多い町の古本屋とは、本を売る客層が違うんだろうなーってことで納得してたんだけど、先日、近所のブックオフに某文庫が大量に入荷してた。
棚にして7列。数にして恐らく数百。うひょー、何じゃこりゃー、買いまくろーっとテンション上がるも、そう何十冊も買う金もなかったし、まあこんだけあるんだから焦ることもないだろうって、その中から特に自分好みっぽい数冊を選びその日は店を後にした。そして数日後。そこのブックオフに買いに行くと棚が半分くらいに。早っ!とか思いつつも、また好みの数冊を買い店を後にした、そのまた更に数日後。棚は一列を切り、何だか自分好みじゃない、つまらなさそうな本ばかりになっていた。ああ、なるほど。客層が違う以上に、競争が早いのか。そしてつまらなさそうなのが残るのか。
と、まあ、そんなことを、今日大量に入荷してた全集を見ながら思い出していた。これまたすぐになくなるんだろうなってことで、好みのそれと、元々買う予定だったった本を買った後の帰り道。立派な装丁で名作と呼ばれる話が105円。割といい本だけど果たして今日買った本にはその数倍の価値があるんだろうかってベタなことをやっぱり思う。でもまあ、それも、たとえアインシュタインでも、マックでバイトすりゃ時給数百円って話と一緒だよな。頭脳という観点からすれば数億数十億じゃきかない位の頭でも、単純労働という観点からすれば時給数百円の価値しかないように、内容からすりゃ価値があるとされていても、商品としては*1定価の半額で売るような価値はない、売れる目算が立たないから105円で、ってだけなんだから。
この前の話はそんな感じで、時給数百円の価値しかない自分を認めずに、本当の自分を探すんじゃなく、単純労働という観点から見れば時給数百円の価値しかない自分を認めた上で、自分ってのを構築してった方がいいんじゃねって話。確かにこの場合は、労働環境があれすぎるけど、全般的な話で言えば、ある視点から見た自分という現れを認めずに、漠然とした何かを探し続けるのは、青い鳥以上に厄介じゃないかなって気がするし。例えば青っぽい鳥を見つけても、これは本当の青ではないって、終わらない青い鳥探しが続いちゃったり。
って、ダメだ。全然文章がまとまらない。いつも以上にまとまらない。頭がもやがかる。疲れ果てて帰ってきたら顔が油ギッシュな感じ。顔でも洗うか。

*1:状態やら在庫やら流行やらやら