理念

物語は、物理的な戦力差よりも、結局の所、理念の戦いになったりする。覚悟のスス メで敵が掲げる忠義の理念を大義で打ち破った主人公に対し、敵は更にその大義を打ち破るために星義、人間を滅ぼすのは地球という星を救うための星義という理念を掲げたように、両者が理念で争いあう。
まあ理念での戦いに勝利させ、正当性を持たせなければ説得力がなくなるから、当然と言えば当然だけど。例えばるろ 剣の志々雄戦なんかは弱肉強食の理念を掲げる志々雄に対抗する理念は提出できず、それでも認めたくないでござる的な感じで押し切っちゃったから、やや説得力が弱まってしまったように。
これはバトル物に限らず恋愛物でもあったりする。それがあのうざったいフラグ合戦。どのヒロインの方が先に主人公と出会っていたか。どのヒロインの方が主人公がいなければ不幸になってしまうか。そんな感じの泥仕合。どれだけ好きか、で測られることはなく、どれだけ正当なヒロインの資格を有しているかで測られる。より先に出会い、より主人公が必要な、等々の正当性で測られる。あれがどうにも好きになれない。
ギャルゲーエロゲー的なマルチエンディングならそこまで合戦にはならずに、八方美人的に全てのヒロインを攻略し、全てのヒロインのグッドを基準に再構成して、みんな幸せで良かったねなどと脳天気に記憶される。でも漫画やラノベ等のマルチエンディングではない、単一のエンディングしか用意されていない場合は合戦が加速する。後から出てきたヒロインが後付け的に実は過去においてヒロインより昔に会っていたとか、実は影でどうのこうのの苦労がとかが平気で乱発される。
現在の関係性の発展で測るのではなく、そういったもので勝負が決まるのは、どうにも好きになれない。まあ、最初のバトル物の話のように、勝つのは最初からヒロインの位置にいる女の子で、そういった合戦も説得力を持たせるためのものだってのわかっちゃいるんだけど、なんだかなあっと。バトルの方は何だかんだバトルに主眼が置かれてたりするけど、恋愛物の場合はそこ描かずに、そういった物ばかりに力入れてたりするからかなあ。