だからこそ

恋愛物語において構造的に、というか出てきた順番的に、正ヒロインにはなれない準ヒロインの子が、正ヒロインの子とどこが違うんですか?っと悩み、結局、あーあ、あたしの方が先に出会ってればなーっという話がよくあるけど、まさにその通りで、現在運命の女性とされている正ヒロインよりも、準ヒロインの彼女が先に出会っていたならば、彼女こそが運命の女性であり、正ヒロインであった。ということは、運命とはその相手のみが持つ固有の要素ではなく、タイミングであると言える。
これは他のジャンルでも言え、たとえばバトル物ならば、主人公側に拾われたキャラと、敵側に拾われたキャラに差異と言える程の差異はなく、もし双方が逆の相手に拾われていたとしても、ストーリーとしては成り立つし、友情を描いた物語でも同じように友達や親友は現在のキャラではなく他のキャラでも代替可能な場合が多く、結局の所、それらは固有の要素によって関係づけられているのではなく、その座に如何にタイミング良く納まることができるかどうかということになる。
さて、そうなった場合、何だよ結局誰でもいいんじゃないかよ、とベタに絶望するのもわからないでもないけど、だからこそ、積極的に関わっていくんだろうなーっと、さっき風呂に入ってる時に突如数日前に読んだぬるい友情物の4コマをきっかけにして閃く。擬音にするとピキーン!って感じ。そっかー。開かれてるんだからこそ、早い者勝ちじゃないけれど、積極的に関わり、結び合おうとした方がいいんだろうなあ。
最初の例で言うならば、正ヒロインの座は交換可能ではあるけれど、現在の正ヒロインに限らずタイミング良くその座に納まることができる相手ならば誰でもいいとは言えるけれど、だからといって現在、主人公と正ヒロインとの関係が偽物かと言ったら決してそんなことはないように、それが固有の要素によるものではなくとも、その関係が偽物であるとはならないんだから。そう考えるならば、愛情とか友情とかいった、真の関係を結べるかもしれない可能性が存分に開かれているんだから、自分と合った人物と結ばれるべく、積極的に関わっていくのは自然と言えば自然だよなっと。