それは無意味ですか?いいえ楽しかったです

話題になってた漫画読んだ。面白かった。ま、当たり前か。あらすじは無意味なゲームに熱くなる話。
印象としては、前に書いた、料理と人生は似ている、料理しないで食っても栄養は同じだけど*1、料理して食べると手間はかかるが美味しい、さあ、料理する?って話と似てるかなって思った*2
無意味なゲームに熱くなって楽しめるかどうかと人生は似ている。だって人生も無意味だからって感じでさ。無意味なゲームに熱くなり奇声を上げて必死になってプレイする彼らは滑稽だ。でも心底楽しんでいる彼らを冷笑する人間の滑稽さと比べたらずっとマシだし格好いい。


無意味なゲームしても見返りがあるわけでもないし誰かが褒めてくれるわけでもないから空しくならない?という問いに、俺の心が豊かになる、好きなもんは好きなんだよ!意味ばっか求めてんじゃねーよ!と怒るシーンがあるけど、今風なんだろうな、これも。
提示してる意味があるメリットは、見返りや誰かが褒めてくれるといった、社会の枠組みからの報酬だけど、それが弱体化することによって、こうした自分自身の心や価値に重きを置く価値観に…とかいうと、途端に安っぽい似非になっちゃうけど、でもまあ、少しはそういうとこもある気がする。
もしも枠組みが強固な時代に、自分の価値観に重きを置いてそれに従って生きる人がいたら、格好良いっていうか、頭のイカれた変人に映るだろうし。だって意味のあることをしていれば、ちゃんとした報酬が保証されていたんだから。こういった人が格好良く映り、そうして受け入れられるってことは、まあ、そういう部分もあるんじゃないのかなっと。


しかし、まあ、あれだな。やる気のないことの格好悪さは何だろうな。ますます弱体化して不透明化してるせいなのか知らないけど、えらい格好悪く映る。一言で言うとださい。でもだからといって80年代だか70年代だかの安易な熱血に戻るのもどうかなって気はするし、ましてや決断主義ってのも安易な気がしてならない。
好きなものに熱くなるってのも、じゃ好きなものがない人はどうすればいいのっていう、ちょっと昔のそれに戻るし、どうなんだろ。それがこの漫画にもあるように、出会いはただの偶然だけど、自分の心に震えるものと出会えたなら、そこから先が重要なのではないですか?ってことなのかな。ま、あれだ。時間も時間だし、そんな感じってことで。寝よ。

*1:実際は変わるけど、変わらないとして。

*2:当然自分は料理しない。