喩えが先にありき

原著にあたるべきか否か。一般的にはあたる方がいいとされてるけど、自分で原著で使われてる言語を学んだところで、結局頭の中で翻訳するんだから*1、それならば自分が覚えた拙い知識でよりも、専門家が翻訳したそれにあたった方が、手っ取り早くていいじゃないかっていう意見もある。
これを同人で考えてみる。なんとなく。原作を知らずに同人を読んだ人が感動したりする。いい話だなーって。でもその同人で描かれてるキャラや話は一義的である。あくまで原作を元に同人の作者が選択した一義によって描かれる。だから例えばどこぞの騎士王を腹ペコ属性として描いた同人作品を見るだけじゃ、原作での凛々しい面や、意地っぱりな面などの、原作での多義性が欠落して、単なる腹ペコニートとして受け取られる。いや、それ自体はむしろ健全でいいと思うんだけど、あくまで多義性を踏まえた上で受け取るのではなく、その選択された一義性を、自覚することなしに、原作を類推すると、いろいろな齟齬が生じてくるよね、と。
最初の翻訳話で言えば訳する単語などの話。単語は一つの意味というよりも、むしろ多くの意味を持ってたり、関連した単語との関係、語の成り立ち、ニュアンスなど、様々に多義ってることが多い。そのニュアンスを理解した上で一つの単語に訳する分には構わないだろうけど、そこらへんのニュアンスを頭に入れずに、訳された、便宜的に一義に絞り訳された、日本語の文を読んでるだけじゃ、同人の話と同様の、齟齬が生じるんじゃないのかなっと、まあ、そんな感じの話。思い付きをそのまま体裁整えてみた。実際どうなのかは知らん。

*1:向こうの言語として理解する以前の段階。