虚構と現実の区別

わかりやすい例を考えるならば、男×ショタ。ショタのちんこを舐める主人公に対する一般的な感想は、ちんこ舐めるとかないわー。ここにすでに虚構と現実の混同が見られる。ショタに描かれたちんこから、3次元の男に生えているちんこ、特に一番見慣れている自分のちんこに対する情報が参照され、ショタのちんこにロードされる。
女の子のような外見の萌えキャラの股間に申し訳程度に描かれた、「つ」みたいな単なる線に、生殖器であると共に泌尿器である、その内に蠢く欲望、臭いや蒸れなどの情報が関連づけられて、ちんこ舐めるとかないわー、ってことになる。だけどそれは単なる線であり、更に言えば3次元とは別の、2次元の男という別存在に生えている、記号である。
だから蒸れとか臭いとかそんなものとは無縁であり、描かれていたとしてもそれは現実のそれとは別の、あくまで性的に興奮させるような、記号的なものでしかない。故に2次元の中で男の主人公が舐めているショタのちんこも、3次元の情報を参照するようなものではなく、2次元のちんこでしかないのだから、虚構と現実の区別と言うならば、ショタのおにんにんおいしいよー、っと享受する人たちの方がよほど区別がついていると言える。あるいは、やおい穴で妊娠とかないわーって言う人よりも、やおい穴って作っちゃわね?妊娠とかもさせちゃわね?って享楽を追求する人の方が*1


と、まあ、そんなことを思ったわけだけど、書いてる途中にもう一つ思い浮かんだのが、男×男は異常であり、ましてや男のちんこを舐めるだなんてありえない、っという常識に従って判断してる場合。でもまあ、それも似たようなもんで、結局の所、2次元でのそれを、3次元でのそれと混同して、3次元側の規範でもって、批判しているだけなんだから、一緒か。
流れとしては児ポ反対のそれと似たような話なのかな?あんまり読んでないから知らないけど。でもまあ、この理屈を2次元幼女のおまんまん舐めたいおーって言ってる人間が、3次元幼女のおまんまんも舐めたいんじゃないのか?っていうことにしたら、児ポ推進派からは、ほんまかいな、実は舐めたいんちゃうの?ってことになるだろうけど、この話みたいに2次元ショタ好きのお兄さんを連れてきて、2次元ショタのおにんにんは舐めたいけど、3次元ショタのおにんにんは舐めたくないっすわ、いや、マジで、って言わせたら、割と説得力あるよね。
この説得力は、やっぱり混同と区別がはっきりしてるからだと思う。3次元幼女が手に入らないから代替として2次元を敢えて混同して欲望するって疑いを晴らすのは難しいかもしれないけど、3次元ショタが手に入らないから代替として2次元ショタっていう人よりも、最初から2次元と3次元を区別した上で、区別された2次元のショタを愛好する人たちであるが故に、3次元のショタには嫌悪感を云々って方が、数としては多そうだから。3次元→2次元ではなく、最初から3次元を参照しない区別された2次元を愛好した人たちの方が。どうでもいいけど、前の号の甘詰のマンガで、オタクほど現実と虚構の溝の深さを思い知らされている人間はいない、的なこと言ってたけど、あれ面白いなーって思った。

*1:そういう経緯かどうかは置いといて。