とある二次創作で

読書を楽しむ主人公に、ロボっ娘が本の読み方を聞く下りがあった。頁のめくり方や読む順序などではなく読み方。なぜならそのシーンの前にロボっ娘はすでに本を読んでおりその上で聞いてきたことだから。本を読んだロボっ娘はテキストを記憶した。一字一句違わず記憶した。だから何頁にどんな記述があったか、どこそこの場面で誰がどうしたということはすぐに把握できる。だが、本を楽しむ主人公たちのような感情は湧いてこなかった。本を読むってどういうことですか?っと、まあ、そんな感じの下りがあった。脚色多い気がするけどニュアンスとしては大体そんな感じだったと思う。
実際に問われたならば、どう答えてみたものか、考えてみるとおもしろい。ぱっと思いつくのはテキストをreadして記憶するのではなく、テキストをloadして想起する。前に、同じ文字数の文章を二つ見せて、どちらが時間がかかるかっという例を示してた人がいた。一つは平易な情報を記述している文で、一つは入り組んだ風景を描写している文。当然、一般的にいえば、後者の方が時間がかかるわけだけど、中には同じくらいの速度で読む人もいるらしい。その人は情景を想起しないで、ただのテキストとして読んでいるとか何とか。もしそう読むのならば、文字数が同じなんだから、むしろ後者に時間がかかる読み方の方が理解できないだろう。ロボっ娘の場合も、たぶん同じようにただのテキストとして読んでいるんじゃないのかなってことで、テキストを一時メモリにロードして情景を再生するように詠んでみたら?って、答えるかなっと。
でも、それで分かるとは限らないわけで。今まではテキストの記憶だけだったのが、テキストを再生した映像の記憶になるだけで、相変わらず、別に何とも思わないままかもしれない。そうすっと、どーしやいいのかなあ。そもそも読書の楽しさって何よって話にまでなるのかな。うーん、どうだろう。とりあえず、あれだ。将軍様、解決してみせるので、話に書かれたロボっ娘をモニタの中から出してやくれませんかね、ってことで。