中学だか高校の理科風に言えば、私の境界がハッキリとした細胞壁のようなものではなく、細胞膜のようなもので、物質を透過させてやり取りするように、言葉が流通し変容してるとしたらどうだろう。
言語を操るには循環する言語のネットワークに身を投じるしかないように*1、流通可能な言葉が、言語で構成されている他者や私を、変容させ、変容させられているネットワークに飛び込むことで私が存在しているとしたらどうだろう。
私を持っている人の数、私という自我を所持している、覚醒した人の数を細胞とする、巨大な生物っぽくね?っと。アメーバとかそこら。ちょっとあれな言い方をすれば、群体としての人間じゃないけどさ。そう考えるとサイバーカスケードなんかは本気で変容している。どこかで発生した病原菌が流行病のように近くの細胞を感染させて行動に向かわせている。くだらないことを言えば、まさに、空気感染。
まあそんな感じでこんな感じ。単なる与太か、あるいは、言うまでもない話。

*1:辞書や文法を1から体系的に学ぶんじゃなくわからないままに身を投じて何となく流通している言葉を把握していくから言葉の意味や形式を説明しようとすると循環に陥る。だってみんながそう言ってるから、そういった意味合いで使ってるから。でも、元々からして、みんなが了解して使ってる共通のルールに過ぎないんだから、むべなるかな、っつーか、当たり前なわけで。