50階くらいなのに

その存在に圧倒された。巨大な建造物ってのはそれだけで崇高というか神性を帯びるというか、有無を言わさぬその圧倒的な存在感という理解を超えた隙間に、崇高だとか神性だとかいったこちら側の理屈をあてはめ、理解することで、その隙間を埋めようとするんだろうな、ってわかりづらいな、おい。
ビルでけー、超すげー、っと口をぽかーんと開けて沈黙した後にふと我に返り、はっいかんいかん、なんで思わず息飲んじゃうんだろう、うーん、崇高だからかな、っと理解できない存在をそのままにしておくことができず、自分が理解できる理屈で、その存在を理解して、取り込み納得しようとする、ってあんまり変わらないな。簡単に説明できないのは本当に理解してない証拠だよねー、ってどこぞの天才が言ってたけど、そんな感じだろうな。
そういえばどこぞのゲームで、でかいビルのことを神殿<シュライン>って呼んでたけど、すごい合点がいった。あれは神殿だ。後、狂信者の塔を思い出した。世界が荒廃してこれくらい高い建造物があったら、その周りをぐるぐると回って崇めたくもなるよなーって。
しかし、あれだな。もっと高かったり、でかかったりするのを何度も見たことあるはずなのに、なんか今日はえらい感動したな。都市みたいに高いのが林立してるとこじゃなく、ちょっと郊外で高い建造物がほとんどないところに、やたらでかいのがあったからかな。それとも以前に書いた雲の話のように綺麗とか綺麗じゃないとかいう鑑賞の対象としてリストアップされたってことなのかな。この前ドバイの阿呆みたいな建造物の写真見たけど、ちょっと生で見てみたいかな、って今日50階くらいの、何の変哲もないビルを下から仰ぎ見ながら、そう思った。出不精なのにもかかわらず。
ていうか、どうでもいいけど高い建物を下から見上げてると空に落ちそうな気がするのは自分だけかな。何もない空を見てるとそんなことないのに、高い建物に沿って見ると、落っこちそうに思える。高いとこから下を見下ろした感じに錯覚してるんだと思うけど。