与太

神とかねーよとか思ってたけど、以前馬鹿げた空想をした。
一人の男が退屈をしていた。死ぬほど退屈していた男はあることを考えた。知性を持つ動物を造り産めよ増やせよと放置プレー。なぜそうしたのかというと、ヲチすることも目的であったが、外部からヲチしてにやにやするのではなく、外部器官として、その動物を通した知覚を楽しむために、彼らを造り、増えるがままに放置する。イソギンチャクのように一つの核から伸びる数十億の光ファイバー。一つ一つの光ファイバーの先っぽは違って同じ場所を見ても違う映像として処理されて、核へとそのまま送られる。そしてその全ての情報を、喜劇として、悲劇として、楽しむ。
あるいは物語によくある、スライムとか忍者とか、一つの個体が分裂する能力を駆使して様々なところを調べて求める情報を得たらまた一つの個体に戻るっていうあれ。一のまま全能なる力を発揮するのもいいけれど、個に分裂して多様性を得ることでより高い能力、創造力、処理能力を求めた生物が、自らを二つに分裂させた。男と女。そして後は腐る程に生んで増やして。
前者の場合は神は私の背後にあり、あるいは神の毛先程度には一部と言え、後者の場合は分裂して小さくなったとはいえ私自身が神であるとも言える。いや、それが本当かどうかって話ではなく、そのように考えた場合、神を、あるいは一体感のようなものを、少しでも感じられることが、面白いなあっと。感じられないかな?うーん、どうなんだろ。