ハニカムの話

イケメン男、金持ち女、デブ専女 in ファミレス。金持ちがデブ専に、イケメンさんと付き合ったりしてるんですか?と聞く。デブ専はイケメンなんて痩せてるからアウトオブ眼中だと答えると、そっかー残念だなー、お似合いなのにーっと金持ちは言う。デブ専は金持ちにイケメンのことを忘れてイマジンしろと告げ、こう続けた。
25歳男ファミレス職員、収入はまあまあだけど、ギャンブル狂で貯金は0かもしくはマイナス、デートはいつも雀荘かパチンコか競馬場、女に貢がれてた経歴あり。さあ、こんな男と付き合いたいと思う?っと聞くと、絶対嫌ですと即答する金持ち。注文が入り金持ちがフロアに行くと、イケメンが何の話してたんだ?っと寄ってくる。デブ専はイケメンの頬をつまみ、理屈ではわかってるんだけどなあ……っと溜息をつく。


要素に分割して代替可能なんだって嘆くベタな話、たとえばあたしのどこが好きなの?って聞いておいて安易に胸とか答えてしまうと胸が目当てなんだ胸が大きければ他の誰でもいいんだっていう、いるかいないかは置いといて、そう描かれるステレオタイプなあれのヒントがこれにあるんじゃねーのっという思いつき。
確かにイケメンは、ファミレス職員でギャンブル狂で(略)な要素で表すことができるけど、じゃ逆にその要素がイケメンなのか、イケメンの全てを表せているのかっていったら、デブ専が最後に溜息をついたように、表せてはいない。だから列記した要素から理屈で判断したらないわーってなるのに、本人を前にするとないわーっとは思えない。それはイケメンをいくら要素に分割したところで要素に還元できない何か、要素化することのできない、汲み上げることのできない、何かなんじゃないのかなっと。それこそがイケメンであり、イケメンたる核である、何か。
ファミレス職員でギャンブル狂で(略)という要素の集合は確かにイケメンの一部ではあるけれど、要素に還元した時点で、それはイケメン以外の誰かが代替可能であるということでもある。金持ちがイケメンのことを頭から外した上でその要素の集合によって現れた人物を想像して、絶対に嫌だって答えたように、それは沖縄のガストで働く佐藤さんとか、奈良県ロイホで働いてる高橋さんかもしれない。その要素を持っている人間なら誰もが、そこに代替可能となる。それが要素に分割するということなんだから。
そう考えた場合、そもそもからして嘆くこと自体がナンセンスであると言える。以前に考えた返答、肉じゃが子さんのジャガイモが好きだと答え、あたしのジャガイモが目当てだったのね!?それならジャガバタ子でもフライドポテ子でも好きなジャガのところに行っちゃえばいいんだわ!?っと言われたらどうするかって話。違うよ、ボクはジャガイモが好きなんじゃなく、肉じゃが子さんのジャガイモが好きなんだよ。甘辛くて肉の旨味も染み込んだほっくほくのジャガイモが。っていうのとは、少し変わったけど、やっぱり近くもある。この場合も単純な要素には還元できない何か、単なるジャガイモじゃなく肉じゃがならではのジャガイモ、が理由になっているように。まあ、そんな感じでこんな感じ。どうでもいいけど、フライドポテ子っていいね。フライドポテ子。いい名前じゃないか。ググったら3件。案外少ない。