可愛いってのは

女の子の強さでもあるんだな、っと空手で修行する主人公に対し、可愛らしくあろうとするヒロインのマンガを見て、そんなことを思った。空手や何かの強さなんかはシンプルだけど、非力な女の子には向かない。じゃ、どうするかってーと、彼女たちは可愛くなるわけだ。
旧来的ではあるけども、選ばれる立場というのがそうさせているのか、それとも今風に考えると、選ぶ立場を更に強化するために、将来の選択肢を広めるために教育を受ける人と同じように、可愛さを磨いてるのかそこらへんはわからないけど、空手の修行、強さが、彼女たちにとってのオシャレ、可愛さに相当するもんなのかな、なんてことは思った。
ま、百合物だけどな!だからどっちも女の子。前にゲイ物見て思ったことだけど、あるのは性じゃなくてポジションだよな。攻めポジションと受けポジション。だって女を志向する女装子やニューハーフならまだしも、男として男を愛するゲイビデオに、一般的な言葉でいうところの女らしさが垣間見える理由なんて、女っぽさを目指して擬態する必要もない彼らが女らしさを見せる理由なんて、そうとしか考えられないだろう。女っぽさがあるんじゃなく、受けポジション特有の反応を、一般的に女らしさであると定義しているだけの話だと。コミュニケーションを取る意志があるのなら、相手が攻めてくれているのに、無反応ってこたぁないだろう。喘ぎだったり身じろぎだったり、何かしらのリアクションを取る。それが受けポジション特有の反応であり、一般的に受けポジションに回ることが多いことから、女らしい反応、女っぽいって感じじゃねえのかなと。
何だか話が蛇行しまくりだけど、そんな感じでこんな感じ。最後に何か言うならば、百合はジャスティス。これに尽きる。