昨日の帰り

あまりにも暇だったんで、見える風景をオノマトペで考えてみようなんてことを思いつく。さあ、やるぞ。と息込んだものの、そうそうボキャブラリーがあるわけでもなく、すぐに尽きる。例えば夜道の街灯、車の光。ピカだとかキラだとかそういうベタなものはすぐに尽きる。延々とピカピカ、キラキラだなんて考えてらんねえし。じゃ、どうするかってーと、自分で新たに考える。キィーン?グィーン?クァラー?センスがないから禄なのが浮かばない。浮かばないだけならまだしも既存のオノマトペに引きずられた劣化コピーってんだから、どうしようもない。考えるな、感じろ。つーことで、頭から既存のなんやかやをガガガと退かして無心のままに光を見る。うーん、何かな?いかんいかん、無心無心。うーむ。いかんいかん、無心無心。
なんてことをしばらくやってると、ふと頭から意味のデータベースがすっ飛んだ。いや、正確に言えば、意味の体系と切り離された。目の前に何だか光ってるのがある。でも、あれが何なのかはわからない。いや、知っていることはわかっている。でも、それが何だったのか、あれが街灯という光を放つ物、なんてなことから切り離されて、目の前の光る何かの存在と、それを見ている自分だけの存在が、世界に残る。というかそれだけの世界になる。だから不安も不安、超不安。え?あれ何だっけ?知っているはずなのに思い出せない。それどころか他の全部がわからない。知っていたはずなのに、何もかもが思い出せない、アクセスできない。そんな感じですげー不安。数秒してようやく、意味のデータベースに接続することができ、元に戻ることができたんだけど、頭はすっげーくらっくらだった。
つーと、何それ痛い子?って感じで、ま、現にそうだから否定もできないんだけど、神秘が云々、オノマトペが云々ってーより、単純に催眠術で言うところの凝視法にかかったようなもんだろうな、っとは思った。ただでさえ無心で光をじっと見つめていた所に、無心って暗示がかかったのか、それともあれが
暗示の聞きやすいタイミングでの空白だったのかはわかんねえけど、多分そんな感じだろうなっと。ま、いずれにしろ痛いのは変わらないけど、なかなかどうしていい経験ができたんじゃないかな、なんて思ってる。横断歩道の信号待ちだったから良かったものの、自転車に乗ってる最中だったら危なかったな、っていう気もするが。