先日

割とショッキングな出来事に遭遇し、1時間近く経った後も、胃のあたりがきゅーっと熱くなったままだったので、たはは、本当に自分は気が小さい、なんて笑ったのだけど、以前から云々かんぬん言ってた問題がまさにこれで、この時びびっているのは誰か。
たはは、なんて笑っている自分は、もう大分前から平常運転の思考をしていて、だからこそ、たはは、だなんて笑っていたのだけれども、体はびびりまくりで、胃のあたりがピンポイントに超熱い。この時、びびっているのは誰か、っていうのが、以前から云々かんぬん言ってた、まさに実例。
まー、云々かんぬん言ってたのは大分、数ヶ月か数年、前ってこともあるけど、今じゃ別段、問題とも思えない。乖離っていうか、引き受けることが、というかそれを受け止めることが、できなかったんだろうな、って印象程度。まー、わからないでもない、というか、世の中の普通でまともな一般の方々からしたら、本当に何が問題であるのかすらわからないって話なんだろうな。
仮に名を山田太郎とするならば、その体で、山田太郎として生きていくのであれば、引き受けねばならぬ云々というよりは、以前どこかの何かで読んだ、男の価値はやせ我慢がどうのこうのってやつに近い。胃がきゅーっとなっていようが、ショッキングな出来事で不安やら何やらの脳内物質がドバドバ出てようが、それを表に出さないことはできるし、それがたとえ引きつっていたとしても、笑うことさえできる。不安を表に出して叫き散らすよりは、やせ我慢でも、わろとけ、わろとけ。たはははは。